光の皮膚
身体と風景。
それは、まったく異なる時間を宿す二つの存在です。身体の写真は、一瞬の呼吸や鼓動を紙に留め、刹那のきらめきを示します。風景の写真は、波が繰り返し光を返し、草木が風に揺らぎ、空の光が移ろうように、持続と循環の時間を抱えています。そして、その風景に刻まれた人工的な構造物は、人間の営為の痕跡としてそこに現れ、自然の流れに挿入された断片的な介入の時間を象徴します。
これら三つの時間──刹那(身体)、持続(自然)、断片的介入(人工)──は、写真によって一つの画面に重なります。印刷された紙に沈み込む光が層を成すとき、それは「光の皮膚」と呼ぶべき表面を形成し、異質なものどうしを触れ合わせるのです。
鑑賞者はそこに、単なる像を超えた複数の時間の厚みを感じ取ります。身体の緊張は波や空の連なりと呼応し、人工的な形が区切りを与えると同時にその存在を際立たせる。三つの時間のリズムが同時に響き合うことで、心の奥底に潜む感情や記憶さえも揺り動かされるのです。
「光の皮膚」としての写真は、存在と環境、自然と人工、刹那と持続をまとめあげ、視覚的体験を多層的なものへと変えていきます。光が紙に沈み、時間の層をひらくとき、写真は祈りのように、存在に触れるまなざしを誘うのです。































光の皮膚
本シリーズ「光の皮膚」は、身体写真と風景写真を組み合わせることで、写真表現の物質性と感覚、さらに「時間の層」の交差を探究する。身体の写真は、露わになった肌や筋肉の動勢、髪の表情を通じて、刹那の時間を提示する。それは「今ここにある」という一回性の瞬間を刻む表現である。風景の写真は、自然による持続の時間を写し出す。波のリズム、草木の生命感、空の光の変化は、循環し続ける広大な時間の呼吸を象徴している。そこに現れる人工的な構造物は、人間の介入の痕跡であり、自然の流れに挟まる「断片的介入」の時間を提示する。それは持続と瞬間のあいだに差し込まれる形象であり、有機的なリズムの中に異質な緊張をもたらす。この三つの時間──瞬間(身体)、持続(自然)、断片的介入(人工)──は、本来統一されないリズムを持つ。しかしプリントとして定着した光はそれらをひとつの表面に収め、「光の皮膚」という層を形成する。この層は視覚的であると同時に触覚的であり、時間的な厚みをともなって鑑賞者に届く。デジタル表示が失いやすい「重み」や「質感」はプリントに宿り、異なる時間性を物質として重ね合わせる。こうして写真は単なる像の再現ではなく、身体的に実感される経験となり、鑑賞者の感情や記憶へと作用するのです。本シリーズは、身体と風景の交差に人工的な痕跡を加えることで、三層の時間を同一画面に重ね合わせる試みである。瞬間、持続、介入──その交差が生み出す「光の皮膚」は、存在と環境を物質的かつ時間的に結び直す写真の根源的な力を提示している。